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生きていく日々に

生きていく日々に
2017.7.12

< 我が身を励ますもの その1 > (集英社・女は人生後半がおもしろい)

*生涯に見るべき三つのもの
高校二年生の時、わたしはこの三つを見るまで、絶対死んではならないと決心しました。なんともおおげさないいようですが、当時、昭和三十年頃、海外旅行なんて、夢のまた夢の時代、悲壮な決意でした。
 ① 4000年前のピラミッド。
 ② 2000年前の万里の長城。
  ③ 現代のエンパイアステートビルデイング(当時一番高いビル)。
いずれも「高い」建物ばかり。
 高校三年生になって、世界史の授業が始った時の感激は忘れ難いものです。
「この世には、世界があり、歴史がある!」
日本の北のはずれ、北海道の人口1万人にも満たない小さな町の高校生にとって、目の前の幕が切って落とされ、新しい風景がはるばると広がったような衝撃でした。
まこと北海道にあっては、日本史すら生活の実感としてなかったのです。修学旅行で法隆寺を見て、「教科書の写真通りのものがあるなあ」と感心するほど、歴史とは無縁な生活、歴史とは、教科書の中だけのものでした。
そんな生活の中に「世界史地図」が飛び込んできたのです。一頁、一頁をめくりながら、王国の興亡に驚き、興奮し、激しい人間の営みに思いを馳せました。
「こんな世界があるんだ。行ってみたいなあ」
時代を劃す巨大建造物。
アバウトながら、4000年前、2000年前、そして現代と、人類史を総括するものが、歴史がカタチになっています。それを作った人がいて、それを見たたくさんの人々がいる、それをわたしも見てみたい。その建造物はまさに時をつなぎ、命をつなぎ、人類の足跡を残したもの。その建物に触れることは、自分の命を確かめることにも繋がるように思えました。
しかし、わたしは、誰にもこの願望を語りませんでした。お前、正気か?といわれるのが関の山でしたから。でも、思っていました。
「きっと行く。客船でなく貨物船でもいい、掃除婦やりながらでもいい、きっと行く」
飛行機なんて、思いもよらない時代のことでした。
この三つの夢は折りに触れて、我が身を励ましてきたと思います。
三つを見るために、歴史関係の本はずいぶん読みました。雑読、乱読だったので、今はもうすっかり忘れてしまっていますが、でもこの心に定めた「見るべき三つのもの」は、生きることへの激励もまたこめて、空の彼方から手招きしているように思えたのでした。

*40年かかった!
あの誓いを立ててからちょうど20年後、わたしはピラミッドの側に立っていました。1976年、夏、もうじき37歳も終わろうとする時、わたしは、朝日の靄に中に聳え立つピラミッドに見とれていたのです。あまつさえ、ピラミッドの中を王の玄室まで登って、この古代の偉業に触れることができました。
おおげさな、と思うかもしれませんが、この時ほど生きていて良かったな、努力してきて良かったな、と思ったことはありません。ピラミッドは、わたしの間違いだらけの人生を優しく見下ろし、それもまた人生さと、包み込んでくれるようでした。
さて順番からすれば、今度は万里の長城です、機会のないままに、先にエンパイアを見ることになりました。
長女が、ニューヨークに留学したため、子どもの様子を見に行くというすばらしい理由ができたのです。
子どもを海外、とくに物騒なニューヨークに出したとなれば、世間の人は心配してくれます。
「よくまあ、そんな危ないところに」
銃と麻薬とセックス、こんな危険な地帯に、よくもまあ。
「すぐ連れて帰った方がいいですよ」
善意なのか脅しなのか、いわれるたびにわたしは覚悟を決めたものです。娘の決断を尊重しよう、どんなことがあっても引き受けよう。ともかく、これでニューヨークに行く理由ができました。
「娘の様子を見てきます」
ほんとうに心配な状況かどうか、連れて帰るかどうか、まずはエンパイアを見てから決めよう、わたしはコートの裾をひるがえして出かけたのです。1984年の冬、わたし、46歳でした。
ただ、エンパイアの頂上は強烈な風で、「おお、あの川が・・・」といっている間に、縮みあがってしまうほどの寒さ。この時の思い出は、とにかく寒かったことしかありません。その後、その時眺めた世界貿易センタービルは、テロリストの攻撃を受けて崩壊しました。
 最後に万里の長城が残りました。
いつ行こうかなあ、これには少々悩みました。これも見てしまったら人生の目標が消えてがっくりくるんじゃないかしら。あれこれ思うと決断できませんでした。
そこに、1995年、第4回世界女性会議が、北京で開かれるという知らせがありました。
時至れり。
自分の生き方を振り返りつつ、世界の女性たちとの、交流の輪の中に入っていこう。わたし、57歳でした。
この大会の最大の思い出は、世界の女性たちが、それぞれの国の布を持ち寄り、それを長い長い帯にして行進したことです。国が違い、地域が違っても、女が抱く苦悩には共通性がある、いわず語らずのうちに伝わってくるものがたくさんあって、色とりどりの帯は華やかながら、深い訴えに満ちたもでした。
万里の長城もまた、帯のようにうねうねと嶺を繋ぎ、その巨大さ、頑健さに驚き、歴史を繋いできた歳月の重みを感じたものです。
3つの願いを果たすのに、なんと、40年かかりました。
田舎の高校生が、「見ること」を励みとして、ただひたすらに生きてきた40年でした。海外旅行なんて簡単ではなかった時代だからこそ、この夢は夢として輝きを持ち、一つひとつ達成していくことに喜びがあったのだと思います。「いい時代に生きたのかもしれない」、という感慨もまた沸いてくるものでした。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by n-okifuji | 2017-07-12 09:12

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