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老いていく日々

2021.9.20

 東日本大震災から10年

 皆様周知のように、今年はあの悲惨な東日本大震災から10年の節目の年です。今なお、帰りを待ち続けるご遺族の心情を思えば、言葉もない思いです。
 この8月末、三陸海岸を歩くツアーがあったので参加しました。被害にあった方々に、遠くからでも哀悼の思いを伝えたかったからでした。
 
 東北新幹線を一ノ関駅で降りて、バスで「気仙沼市復興祈念公園」にお参りしました。純白の慰霊塔の他に、亡くなられた方々の名前をプレートにしてある祈りの場がありました。当日、どれほどの驚きと恐怖であったかと、お一人お一人の名前に胸の詰まる思いでご冥福をお祈りさせていただきました。
リアス式海岸の入り組んだ荒々しい奇岩の群れにも驚きました。波はその岩を乗り越えて住宅地に押し寄せたのです。
 その夜は、休暇村気仙沼大島に泊まり、翌日は海岸の遊歩道を一時間ほど歩き、バスで陸前高田市に向かいました。震災遺構として保存されている骨組みだけの4階(5階?)の建物をバスの中から遠目に見て、津波の恐ろしさに胸が詰まる思いでした。人々はどんな思いだったか・・・言葉もありません。陸前高田では、バスの中からの遠望でしたが「奇跡の一本松」を拝見しました。バスガイドさんによれば、その辺りは一面松原だったということ、自然の力が暴走すると、こんなにも恐ろしいものかと思いました。
 バスに乗っている間、あちこちで、防潮堤といわれる大きな壁が見えて、もう二度とこういう災害のないことを祈らずにはおられませんでした。
 その後、開通した三陸鉄道リアス線に乗るために「盛駅」に向い、ほぼ50分「釜石」まで行きました。この鉄道も大きな被害を受けたとのことですが、2014年に全線が復旧し、久慈駅まで163Kを結んでいるとか。復興のシンボルといわれているそうです。
 
 釜石には、震災の年の8月にお見舞いに伺いました。当時は、まだ混乱の中で、町中に壊れた家があり、切ないことにご遺体が発見された場所には赤い旗が立っておりました。涙なくして見られない光景でした。
 それが10年後には、家は新しく美しく立ち並び、人々の生活も落ち着いていることが伺えました。多くの方々が、不運を乗り越えて新しい生活を送っていることに安堵するとともに、二度とあの赤い旗を見ることがあってはならないと思いました。
 下手な俳句ですが、哀悼の思いです。

 釜石や鳴り止まぬ声盆の月

 釜石からバスは北上し、その夜はホテル休暇村陸中宮古に泊まりました。その後は美しい「浄土が浜」の景観を堪能させていただきました。夜は星空が美しく、こんなにも満天の星を見たのは、何十年ぶりかと思ったものです。北斗七星、北極星がきれいでした。

 翌日は宮古駅に出たのですが、土地の人の話によれば、その駅まで津波は押し寄せたとのこと、この街もまた新しい家が立ち並んでいました。
 私の被災地への祈りの思いは、ほんの僅かなものでしたが、生きている方々が、それぞれの悲しみを抱きながらもたくましく生きておられることに、深い敬意を抱きました。わずかばかりの弔意の旅でしたが、参加してよかったとしみじみ思いました。私も先祖をさかのぼれば、東北の住人。東北人の心の強さ、優しさ、たくましさの一部は遺伝しているのではないかと誇りに思ったものです。

 巨大地震の警告はさまざま出ております。私もわがこととして、命を守っていきたいものと思っております。


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